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Friday, February 26, 2010

秘密のバーコーディオン

 

 
秘密のバーコーディオン
 
こんなことを言うと、おかしな人だと思われるかもしれないが、秘密のバーコーディオンについて話しておきます。
 
実在はしないクルクタールという町に、バーコーディオンという名前の、音を変調させるための機械がある訳です。
それは、ブラウン管や光チューニング器、拡大鏡などによって構成された機械なんですが、これは音を光の図形として扱い、その図形を色んな形で操作することで、音を変調させることができるマシンなのです。
 
もともとこれは、音を図形として表した場合、その図形に存在する概念で変化を加えると、どのようにそれが音に反映するのかを確かめることで、視覚世界の概念と聴覚世界の概念の間に広がる関係性の宇宙を見るために生まれた装置だった訳なのですが、それをある時コントラバスやチューバ、アップライトピアノに組み込んだ楽器職人が登場したことで、この変調器は一種の映像音響エフェクターへと変化していった訳です。
 
不可思議な周期で揺れ動く光・・幾つかの突き出したモニター・・そして、奇妙に前後する拡大鏡や光チューニング・パイプ・・ソース画面から発せられた光が屈折すると、まるで地球の裏側から飛んでくる怪電波を短波ラジオが拾うかのごとく音は歪み、それは独特の音色をつくり出す装置として機能した・・。やがて音楽家や作曲家達はその装置をこう呼んだ。"バーコーディオン"、と・・。
 
バーコーディオンが欲しい。リッケンバッカーの12弦ギターよりも欲しい。
 

Wednesday, December 30, 2009

タラスコ・シンクロニシティ

 

 
どうしよう、この世界に流動するファンタジーのひとつをまた見つけてしまった。私はこの一連の出来事を「タラスコ・シンクロニシティ」と呼ぶことにしよう。
 
3年前、ベトナム旅行に出かけた私は、そこで数々の印象深い風景たちと出会った。プラスチックの椅子がブラウン管テレビを囲むようにして作られた簡易シアターや、エレキギターのノイズに合わせてお経を歌う僧侶、ピカピカと明滅を繰り返すLEDハイテク仏壇、そしてそうした仏具用エレクトロニクスを扱う専門店・・こうした近代テクノロジーと伝統とが融合したかのような光景は私の想像力をどこまでも掻き立てた。旅の終わり、私は町の仏具専門店に立ち寄り、電飾グッズを数点購入した。
 
そんな日常世界から日本に帰国した私の目には、何気なく自室に置かれたテレビやラジオといった通信機器がどこか奇怪な存在として映った。透明な電磁波をキャッチし、見えないエネルギーを青白い光に変換して画面に映し出すテレビは、それだけで神秘的で怪しい装置に見えてならなかったのだ。その時、ベトナムで購入した電飾をどこに取りつけるかを私はすぐに理解した。
 
「ライライ・ジャイーラ・テレビ」。そう私が名づけたテレビは一種の「祭壇」だった。空気中を行き交うRadio Gnomeをキャッチして光を発する装置の持つ、もうひとつの姿・・。頭の中で妄想がスパークした数日後、私は顔面に白い塗料を塗りたくり、ギターのフィードバックノイズを爆音で鳴らし、祭壇に見立てたテレビに向かって「マルハバ・ジャイーラ」と名づけた儀式を一人執り行っていたのだ。テレビの光を全身で浴びたい・・何かに取り憑かれたような感覚があったのを今でも覚えている。
「マルハバ・ジャイーラ?もういいよ、つき合いきれない、俺は帰る。」そう言って何人の友人たちが私の部屋から立ち去っていっただろうか。あの奇怪なテレビ祭壇のある部屋から。(数名は理解を示してくれた。)
 
 
3年前、衝動的に部屋に創設した「ライライ・ジャイーラ・テレビ」。

 
やがてベトナムでの興奮と、テレビに対する不可思議な感覚が自分の中で記憶の奥へと埋もれていくに従って、私の「ライライ・ジャイーラ・テレビ」は徐々に解体され、もとの健全な姿へと戻っていった。しかしそれから数年経った今、あの時の衝動は何だったのだろうか?と考え直す時が来たのかもしれない。『移動する聖地―テレプレゼンス・ワールド』・・その奇妙なタイトルの本を手にしたのは、友人たちと料理店で話をした次の日だ。ページをめくった私の目に衝撃的な写真が飛び込んで来た。
 
「タラスコ族のテレビ祭壇」そう注釈の入った写真に映っていたものは、明らかに祭壇として奉られたテレビに間違いなかった。「こ、これは一体・・。」意識がどこか遠くに飛んでいくような感覚。変な汗が止まらない。今一度落ち着いて本を読んでみる。テレビ祭壇の写真が載っているのは今福龍太さんという人類学者と、伊藤俊治さんという美術評論家、そして港千尋さんという写真家の方の対談『憑依する音と映像』という章だ。この章は更に5つの小見出し、1.『精神の運動と情報通信の革命』2.『祭壇/「聖性」の座標軸』3.『電波の祭壇性』4.『ドリーム・タイムの創出』5.『幻覚作用と物質的想像力』によって構成されている。どれも激ヤバなタイトルだ。以下、その本に記されているとても興味深い内容を幾つか抜き出して要約する。
 
 
「タラスコ族のテレビ祭壇」(画像元:伊藤俊治ほか『移動する聖地ーテレプレゼンス・ワールド』, NTT出版, 1999, p82, ISBN-13: 978-4757100213)

 
・霊的な世界の探求や、異界と交信するという運動が19世紀のヨーロッパで盛り上がりを見せたが、それは電波の発見や、マルコーニ博士による大西洋横断の無線通信の成功やラジオの発明など、通信技術の発達と重なるようにして盛り上がっているし、そもそも「メディア」という言葉は「霊媒(メーディアム)」と語源的に同じである。
 
 
Guglielmo Marconi (1874-1937) via The Marconi Company Web

 
・祭壇とは何か?ある一画を特別な空間として扱うという行為は、何かが降りて来てトランスする際に、異界に対して元の自分の位置を示す座標軸としての意味を持つのではないか。日本の祭りでも、異界からやってくる霊に対して、祭りがどこでやっているのかわかるように「依代(よりしろ)=背の高い木」を立てるように。
 
・メキシコ中央高原に暮らすタラスコ族の村では、驚いたことに家の中にある祭壇に旧式のテレビが奉られている。インディオの前に突然表れた近代文明のシンボルとして飾っていると解釈することもできるが、テレビモニター自体が祭壇的性格を持ってはいないか。
 
・マクルーハンは、テレビは光を視聴者に浴びせかけると言った。60年代にブライオン・ガイジンとイアン・ソマービルが作り出した「ドリーム・マシン」。それは脳波に合わせて光をまぶたに放つことで幻覚症状を促す装置だ。ブライオンはこの装置を、目をつぶって鑑賞する最初の芸術作品と言い表している。つまり、これらは光を浴びることで「憑依する映像」を観るための装置ではないか。
 
 

 

 
私がベトナムに行って帰って来て自室で行った行為が、この本に書かれている内容と結びつき交差する。何の関係もないような遠いメキシコのタラスコ族と過去の自分との奇妙な関係性。ユングは、互いの事象が類似性・近似性を備えるとき、そこには普遍的な事象を作り出す力の連続性が宿ると言う。そこには何ら科学的根拠は示されていないが、しかし、周りの環境が働きかける導きの根底には、やはり何らかの作用が働いているように感じざるを得ない。
何故なら、見えないものを視覚化し、我々と対面してその光を浴びせかけるテレビは、祭壇化することで異界と繋がるかもしれない、と考えるのは通信機器に対する原初的な思考形態かもしれないからだ。
 
『移動する聖地』。この本が私に見せてくれたファンタジック・リアリティの銀河。この書物はもはや私にとって「移動する聖書」なのかもしれない。これを私に貸し出してくれたICCのH氏に感謝申し上げたい。
 
テレビにとって映画のスクリーンにあたるものは何か、マクルーハンはこう答えた。「それは、テレビを視る者である」。
 
 

 
参照:
伊藤俊治, 港千尋, 今福龍太ほか『移動する聖地ーテレプレゼンス・ワールド』, NTT出版, 1999, pp.75-93, ISBN-13: 978-4757100213, on Amazon
Marshall McLuhanほか, 翻訳 大前 正臣ほか『マクルーハン理論―電子メディアの可能性』,平凡社, 2003, ISBN/EAN: 9784582764611, on Amazon

 
LINK
MP3『夜の祭典』/ Ei Wada with Mustekala (2006)
MP3『捧げる』/ Ei Wada with Mustekala (2006)
※当時の「マルハバ・ジャイーラ」中の音源記録。(Ei Wada - Jaira Television Noise & Tape Deck, Mustekala are Taigen - Effects, Waten - Gtr & Per)プライベート音源の公開になります。音量と内容にご注意ください。
 

Thursday, November 12, 2009

土とエレクトロニコス

 
今も脳内を駆け巡る東南アジアの第四次元的光景。それらが時々脳内でフラッシュバックを起こすと、無性に電子音を欲する。僕は大学1年の頃にベトナムはホーチ・ミンに観光旅行に行ったのだけれど、そこで数々の衝撃と出会った。その体験が自分に想像面で影響を与えている。
 
 

 
2006年の夏休み、料理が美味しいからというミーハーな理由で遊びに行ったベトナム。しかし、完全にあの町を甘くみすぎていた。その西洋と東洋、土とエレクトロニコス、田園を歩く水牛とコンピューンを始めとする近代テクノロジーとが奇妙に同居した風景は僕の想像力を無限に掻き立てた。
特に、町の一角の寺院で見た光景は脳裏に焼きついている。僧侶が過剰にリバービーなアンプでお経を歌い、バックではエレキギター奏者がノイズをかき鳴らし、その横でお婆さんが木魚と胡弓を鳴らす。僧侶や仏像の背後には巨大なエレクトロニコスデコレーションが取りつけられており、それらはコンピューン制御によって明滅と拡大と収縮を繰り返していた。(動画はベトナムのものではありませんが、とても近い印象です。)
 
 

 
そこでたまたま目にした光景は、僕にとって珍妙で強引なドッキングであり、ファンキーかつ変態的なミクスチャーであり、神秘主義的な異国のテクノロジー像であったことは間違いない。しかしそこにいる人たちにとっては何ら不思議でもない日常的な感覚。そうやって考えてみると、確かに電気という近代的魔術を伝統的な魔術の中に取り入れただけなんだということに気づく。そもそも「普通」や「異質」とはとても相対的なもの。僕らの暮らす世界における感覚は、ひとつの在り方に過ぎないのかもしれない・・考えさせられた。
動画はこれもまたホーチ・ミン近くにあるカオダイ・グレート・テンプル。カオダイ教は世界の名だたる宗教の良き教えをDJのようにミックスして高い台(カオダイ)の上に誕生したという宗教で、"天眼"と呼ばれる宇宙原理の象徴を毎日崇めるという。最初に観たときは正直びっくりした・・。
 
 

Cao Đài Great Temple

 
そして僕はそれらの光景や異なる日常感覚を間近で接して、彼らがテルミンやシンセサイザー、ラジオやリズムマシン、メロトロンやサイン波生成機器などの近代テクノロジー楽器を天上界と交信するための音楽道具として使い始めるのは時間の問題だな、と感じた。そんなことを今でも勝手に考えては、わくわくしたり悪夢を見たりする。そうして沢山の勝手な超現実的第四次元がぴよんぴよんと耳の奥に溢れ返っていくのであります。
 
LINK
Webで見つけたベトナム寺院レポート