Friday, August 01, 2008

フィクショナル・リアリティ

 

「僕は将来時計職人になって、珍妙で奇妙な時計を沢山つくって人々の時間認識を操ってみたいんだよねえ」なんてことをふざけて言っていたら、人文社会系を勉強している友人が「それならこれでも読んでみたら?」と言って「時間の比較社会学」という本を紫の蒸気とともに手の上に出してみせた。その本は友人の手の平でふわふわと浮きながら、くるくると回転している。すると友人はにわかに目を閉じて、不思議な呪文を唱え始めた。「時計というイデオロギー・・均質で空虚な時間の創造・・均質で空虚な時間の創造・・それは魔法・・それは夢・・卵・・」どうやら友人は別の時間世界にトリップしているようだった。この呪文は、”時計というシステムによって、均質で空虚な時間概念が生まれた”ということを意味しているようだ。時計にはとてつもない魔法が宿っていると友人は僕に警告しているようだった。
 
すると今度は頭上から黒塗り眼鏡をかけた音楽家が背負い式飛行装置で降りて来て、「クロノス時間・・カイロス時間・・イーオン時間・・巨大な歯車がリズムを刻む・・」と奇妙な呪文を唱え始めた。「時間」はなかなか奥が深そうだ。自然科学や、物理学以外の分野(文脈)でも探求されているんだなあ。やがて呪文が意識の中で混じり合っていくと、耳の奥に透明なフィクショナル・リアリティの響きが聞こえてきた。
 
その日の夜見た夢の中で、時計は逆回りだったり、速さが一定じゃなかったりした。そんな世界に住む人達に、12時間周期の僕の腕時計を見せると、とても驚いて珍しがっていた。一人の髭を生やした老人が僕の時計を見ながら「ドンブラパタール、偶然と必然のせめぎ合い!!」と叫んでいた。どうやら僕も別の時間世界の扉を開いてしまったみたいだ。むーにょむーにょ。(画像:Wikimedia Commons)