仏壇管:
電化製品からは、目に見えない有害な電波が発せられている。それらを耳に聞こえるようにする方法として、アンプに繋いだシールドの先端を電化製品に近づけるという方法がある。
シールドの先端を近づけると、アンプからはノイズ音が「ブー」っと出てくる。また、ラジオを近づけても同様に回路が反応して、音が出てくる。この目には見えない電磁波を操り、周波数を変え、ノイズに音程を持たせる方法を僕は発見した。(いや、発見せざるを得なかった)
僕のシステムは、視覚的図形を変化させることで、電磁波の周波数を変え、音楽的なノイズを生むことができる。これは非常に原始的でアナログな方法だが、これは電気信号というものの持つ性質が生み出している不可思議さの応用であり、神のプログラム(自然法則)が反映されている。
そして、この方法に気づいた時、僕は悟った。この空間は有害な電磁波の発する「音楽」に満ちている・・。この目には見えない空間を飛び交う電気情報をいじくり、これらを脳内のソムニウムと化学反応させながら、時空と混ぜ合わせ調理すると、僕の霊的な精神は、やがてプリンやスジコや、魚トロニカのようになり、そして、、まあそんなことはどうでもいい・・。
やがて、僕が長年の歳月を経て完成させた「仏壇」は、電気的なノイズを音楽として還元する装置と化した。もはやこれは僕の新しい宇宙(魚や泡)になってしまった。

そして、僕はもう一つ重要なことに気づいた。それは、アナログマテリアリズムだ。全ての情報は電気である。自己という存在も、主観も、全ては脳内の電気信号だ。自分が死に、時間も空間も消え去って「無」になったとき、果たして世界は「無」になってしまうのか?
これはもはや、客観性を妄想し、「信仰」によってのみ答えを各自が獲得していくほかないのだ。僕は個人的に、主観を超えた客観性が存在すると信じている。そして、電気的反応を超えた、ある種の精神性が生命或は物質には宿っていると信じている。
物質から精神が生まれているのか?それとも、精神から物質が生まれているのか?
この問いの持つカオス(ピカピカ光りながら混ざっている)を、僕はアナログマテリアリズム的な「仏壇」という楽器を使い、そこから「音楽」を奏でることによって吐き出そうとしているのだ。
それにしても気になる。普段聞いている音の信号を、脳ミソの視覚野にぶっさしたらどんな映像が見えるんだろう。それはカラーなのか?それとも白黒なのか?どんな模様なのか?凄く気になる。
とどのつまり、僕は新しいガムランを見つけた。
そこから紡ぎ出される空間と光の響きを、僕は産卵したい。
そして、稲妻のように地上に降り注ぐ感覚天球となって激しく回転し、地中深く潜り込んでは、また地上に昇り、そしてそのまま海の奥深くに没していきたい。

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