Friday, July 11, 2008

声に潜勢するもの

 


 
ホーメイ歌手の山川冬樹さんの授業が面白かった。この方、一人で二人の声を出したり、心臓の鼓動を止めたりすることができる。始めてパフォーマンスを見た時は衝撃的だった。空間にホーメイ、心臓の鼓動、ノイズ・ギターを放出し、空間を身体化してしまう。二人の声を出すというのは、倍音を操って歌う歌唱法で、「ホーメイ」というそうだ。声のような、電子音のような、風なりのような不思議な音を口から発する。心臓は呼吸で操っているようだけれど、ライブ中に止めすぎると気を失うこともあるそうだ。まさに命がけのパフォーマンスだ。
そんな山川さんは「声」にまつわる研究を行っている。最近『声に潜勢するもの』という連載も始めていて、その中の「ヒトラーのマイク」という記事がとても興味深かった。
 
 

 
ナチスドイツがヒトラーの演説用に開発したマイクは「ヒトラーマイク」と呼ばれ、今も録音スタジオに同じ型(Neumann CMV3)が残っていることがあるのだという。その不気味な形をしたマイクは、数値スペックだけでは計ることのできない独特の声(音)を録音できるというのだ。マイクとは「拡張された発声器官」であり、そのマイクは独裁者の「発声器官の一部」となっていた。実はナチスはPA(Public Address=公衆演説)システムを世界で初めて開発したことでも有名だ。6万人を収容するグラウンドの地中に巨大なスピーカーを埋めて、ワーグナーのレコードを爆音で再生したり、ヒトラーの声を地響きのように響かせたりしたという。党大会を記録したプロパガンダ・フィルム『意志の勝利』を見ると、そこには大衆を圧倒的な力で先導するカリスマ的パフォーマーの姿が描かれている(演出されている)。時代を隔てて一本のマイクがその歴史を呼び起こさせる。
 
 

 
キューブリック『2001年宇宙の旅』に登場するHAL9000というコンピュータが機能を停止する際に歌う「デイジー、デイジー」という歌にまつわる記事も興味深かった。実はこの「デイジーベル」という歌は1961年にベル研究所の技術者が歴史上初めてコンピュータ(IBM7094)に歌わせた曲でもあるという。機械が発声し、歌うと、そこには何らかの精神性が宿っているような気がする。そしてその無機質で乾いたロボット・ヴォイスが我々を魅了してやまないのは、我々が持つ全ての物質の中に魂が宿っているというアミニズム的な感覚、そしてそれを追い求めようとする原始的なロマン、非科学的な主観によるものなのではないかという。強制終了によってゆっくりと機能停止になっていくHALが歌う歌声は、『悲哀と笑いと恐怖が入り交じった奇妙な感情をかきたててくるのだ』と言う。どこまでも無機質な声に感じる精神性がそのような奇妙な感情を呼び起こさせるのだろうか。
機械による音声合成を先駆的に実現したベル研究所は電気通信においてこの技術を応用しようとしたそうだ。声を記号(ロボット・ヴォイス)化して大陸間でコミュニケーションをとるための装置として、「ヴォコーダー」が開発されたという。もともとは「ヴォイス・コーダー」=「声を記号化するもの」という意味だそうだ。(なるほど!)これは軍事面で活用されるようになり、米国と英国の首脳同士の秘密会議にも用いられたという。『ヒトラーが当時最新の拡声技術を用い、その声の激情で大衆を扇動した裏で、ルーズベルトとチャーチルが血も涙もない機械の声で淡々と密談を交わしていたという事実は対照的で面白い。 』と山川さんは言う。そして、更に連載にはこう記されていた。『”声”とは単に人間の口から発せられる音のことではない。それは振動を発する者と受けとる者、それぞれの主観の中に生じる、心理的な共鳴現象にほかならない。』
 
 

 
発声原理に関する話も興味深い。我々は喉頭部にある声帯を使って音を出し、口の形で言葉をつくっているのだが、その原理を分解していくと不思議な構造が立ち現れる時がある。喉頭癌で声帯を失った人が喋る時に使う「電気式人工咽頭」は、喉にそれをあてて口パクすると、ロボット・ヴォイスのような声で喋ることができる。トーキング・モジュレーターというエフェクターは、ホースのようなものから楽器の音を出して、ホースの先端を口に入れてパクパクさせることで、「楽器の音で喋る」ことができる装置だ。これを使って山川さんが見せてくれたのは、「他の人の声を使って喋る」というもの。自分ではない他人の声で「あなたは誰?」と言う。すると、「自分ではない人の声で喋る」という体験の他に、声を提供した者は「自分の声に”あなたは誰?”と聞かれる」という面白い体験をする。
更に衝撃的だったのが「食道発声」というもの。ゲップを連続して出すことで、ゲップで喋るというものだ。これも喉頭癌で声を失った人々が用いている発声法だと言う。ここで面白いのは、ゲップの音には性別や個性がないはずなのにも関わらず、女性なら高い声、男性なら低い声、といった差が「食道発声」にも生じているのだ。「自分の声を取り戻したい。自分の声で喋りたい」という「声というアイデンティティを取り戻したいという欲求」がここに表れているのではないか、という。とても興味深い。「自分の声」というのは切っても切り離せないようであるが、このような分解された地点を探っていくと、「声」の持つ様々な側面、意味が立ち現れてくる。物質、或は空気振動に宿る心理的共鳴現象。たくさんの不思議。
 
Link
・http://fuyuki.org/
・Youtube:伊東篤宏×山川冬樹