Tuesday, July 22, 2008

Open Reel Ensemble:The First Live Performance

 








上の写真は新作の自作楽器(改造楽器)の写真です。
前期制作の講評会がやっと終わった。とても長かった。ICCや音楽関係者が講評に来てくれたのだが、高い評価を頂くことができた。パフォーマンスを観に来てくれたお客さんからもなかなかの反響。磁気録音の原理を応用した演奏方法だったので、動きと音が結びついていて、目で見て楽しめる、というのもポイントだったのかもしれない。1ヶ月間かけて仲間と協力してつくった甲斐があった。産業的価値とは異なる「コンヴィヴィアルな(音楽表現)道具をつくる」という目標にもひとまず到達することができた。
そしてまた、ハードウェアのサンプリング&コラージュは時間軸を越えたテクノロジーのドッキングであり、それは透明なファンタジー呼び起こそうとしている・・・。一般的にはマニアックな作品だけれど、パフォーマンスは割と音楽的に仕上げた。※写真はクリックで拡大できます。(写真撮影:堀之内毅)
 
 
 
mp3 - "Ensemble#1-#5" Live Performance at Tama Art University July 20, 2008:


mp3 - "球面哲学者の心象音楽" Music with Bending Reel-to-Reel + Tabla + Blockflöte:

 
 
System:
・Reel-to-Reel:Pioneer RT-1050 / RT-1011H / RT-1020
・Software:Max/MSP 5
・Laptop:Power Book / Mac Book

Technique:
・アルゴリズミック・スイッチング:オープンリール内のスイッチをコンピュータプログラムで制御。高速かつリズミカルにスイッチング。更にOpen Sound Controlというプロトコルを使用してネットを介して他のリールと連動。手元のテンキーで操作。
・リアルタイムサンプリング&スクラッチ:その場で録音した音をリアルタイムに加工・スクラッチ。
・ソレノイド・ビブラート:ソレノイドを制御し、走行するテープを物理的に高速かつリズミカルに振動させることによって音にビブラートをかける。人間技ではない速度で振動させることが可能。
・プレイバック:あらかじめリール内に用意している音を再生。その場で録音した音を再生。逆再生も可能。
・回転数制御:再生スピードを可変。手でリールを回す場合と、ボリュームで操作する場合がある。
・高速回転再生:高速で走行するテープをヘッドに押しつけて音を再生。

Open Reel Ensemble are;
Ei Wada : Concepter, Circuit, Sound Composition
Kimitoshi Sato:Programing, Sound Design, Poster Design
Ren Yamashita:PIC Programing, Circuit
Sayu Okano:Assistant, Mixer
Takuya Asakura:Craft, Design

Thursday, July 17, 2008

Algorithmic USB Reel to Reel Recorders

 





色んな素材や機材に溢れ、発想があっちらこっちらとっちらかってしまうような混沌をクリエイティブ・カオスと言うらしい。今大学の教室はまさにこのクリエイティブ・カオス状態。現在、複数台のオープンリールをコンピュータによって制御し、アルゴリズミックに連動させるパフォーマンス作品を仲間と制作中。コンピュータのプログラムを物理的な運動(モーターを回したり、スイッチをオン・オフさせたりする動き)に変換するインターフェースには「フロッケ」を使用し、制御するプログラミング・ソフトには「Max/MSP」を使用。Max同士の通信には「Open Sound Control」というプロトコルを使うことにした。末端と先端が混在するハードウェアのサンプリング&コラージュ。
 
<告知>
 
作品(新作)を発表します。
※ショート・パフォーマンスも行います。
by Open Reel Ensemble
 
場所:
多摩美術大学
情報デザイン棟25-206

日時:
19日(土)/ 11:00~
20日(日)/ 13:00~ / 15:00~
 

Wednesday, July 16, 2008

原理 / 仕組み / 構造の面白さ

 

僕は小さい頃から常に何かに凝って熱中してきた。いま振り返ってみると、自分が惹かれて興奮してきたものには何かしらの共通項があるように感じる。その共通項のひとつに、「原理 / 仕組み / 構造の面白さ」があるのではないかと思う。大学に入ってからの研究や創作はこことリンクしている。(去年ちょこっと所属していた大学の佐藤研究室はまさに「原理 / 仕組み / 構造」から生まれる面白い表現を追求していた。楽器の創作は、音に関する原理・仕組みと関連している。)
5歳くらいの頃は大きな力によって支配されている方位磁石や、世界中の音楽を受信する短波ラジオ、音を閉じ込めるカセットテープに魅了された。小学校になってからはレコード盤にとてつもない神秘性を感じたのを覚えている。この世に存在する全ての音が空気の振動ならば、その振動を「傷」として記録できる、というレコードの原理を知った時はとにかくぶっ飛んだ。ゾクゾクワクワクした。そこには「必然的な繋がりを持った仕組み」や、「自然界に存在するプログラムを応用したデザイン」が存在している。自然界の原理を応用して作り出された道具や機械を見ると、そこに人間の「知恵」が垣間見えて、好奇心がくすぐられる。もちろんこの共通項は窓のひとつ。身の回りに潜むたくさんの魅力的なモノやコトを色んな窓で発見してみたく思い候。
 
<「原理 / 仕組み / 構造の面白さ」の文脈として読める作品を集めてみる。勝手に。>

Norman Mclaren "Cannon" "Pen Point Percussion" / Zbigniew Rybczyński "Tango" "El paso del tiempo" / Maurits Cornelis Escher / Philippe Decouflé "SHAZAM!" "Infidele Angle2 (2004)" / "Kylie Minogue - Come Into My World" / "Chemical Brothers - Star Guitar" / 辻川幸一郎+Cornelius "EYES" / 岩井俊雄 "Morphovision - Distorted House" / 佐藤雅彦 "Issey Miyake A-POC INSIDE" / 堀尾寛太 / 八木良太 "time cosmique advert" / 鈴木康広 / Carsten Nicolai (a.k.a. Alva Noto) "time cosmique advert" "invertone" "at Pace, New York (Oct 2007)" / 荒川修作 "養老天命反転地" / 鈴木昭男 "on Youtube" / Bart Hopkin / Stringraphy / 鳥小屋サウンド / Reed Ghazala / "handmade vegetable musical instruments" / Steve Reich "Piano Phase" "Clapping Music" / Oval Process / 三輪眞弘 "Reverse Simulation Music" / 方法マシン / Lauenstein & Lauenstein "Balance" / Dennis Oppenheim "A Feed-Back Situation" / Masato Sekine "Ene-Geometrix 02" / ユーフラテス "おじいさんの11ヶ月" "midnight animation" / 大坪透 "群れ" / Jamiroquai - Virtual Insanity / 東京芸大メディア映像専攻 "鏡の中のカメラ、カメラの中の鏡" / まど・みちお "やぎさんゆうびん"
 
 

 

 

 

 

 

Friday, July 11, 2008

声に潜勢するもの

 


 
ホーメイ歌手の山川冬樹さんの授業が面白かった。この方、一人で二人の声を出したり、心臓の鼓動を止めたりすることができる。始めてパフォーマンスを見た時は衝撃的だった。空間にホーメイ、心臓の鼓動、ノイズ・ギターを放出し、空間を身体化してしまう。二人の声を出すというのは、倍音を操って歌う歌唱法で、「ホーメイ」というそうだ。声のような、電子音のような、風なりのような不思議な音を口から発する。心臓は呼吸で操っているようだけれど、ライブ中に止めすぎると気を失うこともあるそうだ。まさに命がけのパフォーマンスだ。
そんな山川さんは「声」にまつわる研究を行っている。最近『声に潜勢するもの』という連載も始めていて、その中の「ヒトラーのマイク」という記事がとても興味深かった。
 
 

 
ナチスドイツがヒトラーの演説用に開発したマイクは「ヒトラーマイク」と呼ばれ、今も録音スタジオに同じ型(Neumann CMV3)が残っていることがあるのだという。その不気味な形をしたマイクは、数値スペックだけでは計ることのできない独特の声(音)を録音できるというのだ。マイクとは「拡張された発声器官」であり、そのマイクは独裁者の「発声器官の一部」となっていた。実はナチスはPA(Public Address=公衆演説)システムを世界で初めて開発したことでも有名だ。6万人を収容するグラウンドの地中に巨大なスピーカーを埋めて、ワーグナーのレコードを爆音で再生したり、ヒトラーの声を地響きのように響かせたりしたという。党大会を記録したプロパガンダ・フィルム『意志の勝利』を見ると、そこには大衆を圧倒的な力で先導するカリスマ的パフォーマーの姿が描かれている(演出されている)。時代を隔てて一本のマイクがその歴史を呼び起こさせる。
 
 

 
キューブリック『2001年宇宙の旅』に登場するHAL9000というコンピュータが機能を停止する際に歌う「デイジー、デイジー」という歌にまつわる記事も興味深かった。実はこの「デイジーベル」という歌は1961年にベル研究所の技術者が歴史上初めてコンピュータ(IBM7094)に歌わせた曲でもあるという。機械が発声し、歌うと、そこには何らかの精神性が宿っているような気がする。そしてその無機質で乾いたロボット・ヴォイスが我々を魅了してやまないのは、我々が持つ全ての物質の中に魂が宿っているというアミニズム的な感覚、そしてそれを追い求めようとする原始的なロマン、非科学的な主観によるものなのではないかという。強制終了によってゆっくりと機能停止になっていくHALが歌う歌声は、『悲哀と笑いと恐怖が入り交じった奇妙な感情をかきたててくるのだ』と言う。どこまでも無機質な声に感じる精神性がそのような奇妙な感情を呼び起こさせるのだろうか。
機械による音声合成を先駆的に実現したベル研究所は電気通信においてこの技術を応用しようとしたそうだ。声を記号(ロボット・ヴォイス)化して大陸間でコミュニケーションをとるための装置として、「ヴォコーダー」が開発されたという。もともとは「ヴォイス・コーダー」=「声を記号化するもの」という意味だそうだ。(なるほど!)これは軍事面で活用されるようになり、米国と英国の首脳同士の秘密会議にも用いられたという。『ヒトラーが当時最新の拡声技術を用い、その声の激情で大衆を扇動した裏で、ルーズベルトとチャーチルが血も涙もない機械の声で淡々と密談を交わしていたという事実は対照的で面白い。 』と山川さんは言う。そして、更に連載にはこう記されていた。『”声”とは単に人間の口から発せられる音のことではない。それは振動を発する者と受けとる者、それぞれの主観の中に生じる、心理的な共鳴現象にほかならない。』
 
 

 
発声原理に関する話も興味深い。我々は喉頭部にある声帯を使って音を出し、口の形で言葉をつくっているのだが、その原理を分解していくと不思議な構造が立ち現れる時がある。喉頭癌で声帯を失った人が喋る時に使う「電気式人工咽頭」は、喉にそれをあてて口パクすると、ロボット・ヴォイスのような声で喋ることができる。トーキング・モジュレーターというエフェクターは、ホースのようなものから楽器の音を出して、ホースの先端を口に入れてパクパクさせることで、「楽器の音で喋る」ことができる装置だ。これを使って山川さんが見せてくれたのは、「他の人の声を使って喋る」というもの。自分ではない他人の声で「あなたは誰?」と言う。すると、「自分ではない人の声で喋る」という体験の他に、声を提供した者は「自分の声に”あなたは誰?”と聞かれる」という面白い体験をする。
更に衝撃的だったのが「食道発声」というもの。ゲップを連続して出すことで、ゲップで喋るというものだ。これも喉頭癌で声を失った人々が用いている発声法だと言う。ここで面白いのは、ゲップの音には性別や個性がないはずなのにも関わらず、女性なら高い声、男性なら低い声、といった差が「食道発声」にも生じているのだ。「自分の声を取り戻したい。自分の声で喋りたい」という「声というアイデンティティを取り戻したいという欲求」がここに表れているのではないか、という。とても興味深い。「自分の声」というのは切っても切り離せないようであるが、このような分解された地点を探っていくと、「声」の持つ様々な側面、意味が立ち現れてくる。物質、或は空気振動に宿る心理的共鳴現象。たくさんの不思議。
 
Link
・http://fuyuki.org/
・Youtube:伊東篤宏×山川冬樹
 

Saturday, July 05, 2008

ニコラ・テスラ博士の物語

 

 
20世紀に偉大な業績を残した発明家や科学者が晩年にどのような研究に取り組んでいたかを調べてみると、今の感覚で言うところの非科学的・神秘主義的な研究が多い点が面白い。近代科学が確立していく過程で、神秘主義と科学が矛盾せずに同居していることがある。

交流電流やラジオ、蛍光灯を発明したニコラ・テスラ博士は、人間の頭の中のイメージを投影する映写機や、天候などの自然環境を意のままに操る装置を始め、晩年は世界システムという永久的なエネルギー供給システムを考案し、研究に取り組んでいたというし、エジソンは人間のエネルギーは宇宙のエネルギーと一緒で不変ということを突き止め、死者(霊界)と通信するための電信装置の開発に取り組んでいたという。ニュートンも錬金術にのめり込んでからは科学的な業績は一切あげてないみたいだ。
 
そういえばアインシュタインがこの世を去った年に書かれたというメモには
「これが最後です。これがゴールなのです。私は神のパズルを全て説いてしまいました。アインシュタインはアインシュタインでいたいのです。」
と書かれていた。これは単なる言葉遊びと言われていたが、これを発見したジャーナリストは、「アインシュタイン」がドイツ語で「石」を表すことから、「石は石でありたい」と読み解くことができ、それはすなわち<物質が存在するその根源には、そのものがそのものでいたいという「意志の力=精神性」がある>ということを言っているのではないか?という推察を残している。徹底した唯物論者であったアインシュタインは、晩年宇宙の全ての謎を解くという「統一場理論」に全ての力を注ぎ込んだと言われている。しかし、それは彼の死によって未完となっている。物質によって構成されるこの世界の謎を紐解いていくと、そこには物質を越えた何らかの存在を感じる時がある。アインシュタインは一体最期に何を思ったのだろうか?
こんな話もある。霊界を絶対に信じなかった脳科学者が、脳を解剖し分析しているうちに、「心」の物理的な所在が不明であったことから「魂」の存在を信じるようになり、晩年は霊界の存在を信じるようになった、というのだ。

ここには、「科学的」か「非科学的」という二項対立が存在しない地平が広がっている。死期が近づくと「信じたいものをただ信じる」という心理が働くのだろうか。「何か大きな存在へ」というテーマにシフトしていくのだろうか。科学的な探究心と、物質を越えた存在或は自分の生と死を見つめようとする宗教的な探究心が合流している。
 
宗教と政治を切り離し、法律や政治は「神」(自然の摂理)ではなく、「人間」が作り行うんだ、という人間中心主義を築き上げた西洋近代。そして、聖書に書かれていることではなく、「人間」が実験し、確かめることで世界を機械論的な因果律で理解しようとして発展した近代科学。しかし、科学が追求する形而上学的な「真理」の存在に疑いをかけるポスト・構造主義思想。そうした歴史の延長線上に立っている今という時代、宗教と科学という二項対立を越えた探求の道は残されているのだろうか?
機械論的因果律によって世界を解明しようとする科学的世界観と、自らの生と死の問題を見つめる宗教的な世界観、それは今も自分達の中に同居している。しかし、そのどちらもがこの世界の謎を解明する手段としてふさわしいか、ということに関しては懐疑的な考え方が多く存在するみたいだ。一体これから世界(や社会)をどのように探求していく方法があるのだろうか?と、思考があっちらこっちらとっちらかってしまうほど刺激的なニコラ・テスラのファンタジー。歴史に消えた珍妙な発明品のファンタジー。

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エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録する事で発明としていた」に過ぎないのだという。
(出典:wikipedia - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%82%BD%E3%83%B3

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最近こういう本を見つけた。歴史に埋もれた数々の珍妙な発明品が紹介されているみたい。↓
『ポピュラーサイエンスの時代』(原克著)
 

Thursday, July 03, 2008

再々考:電飾仏陀

 

この前、友人達と会った時のこと。そのうちの一人がミャンマーからの留学生なので、そういえばと思い、「なんで仏像がぺかぺか光ったりするのか?」ということを質問してみた。すると、「仏様はオーラを出してるから光ってるんだよ」と言う。仏像の後ろで広がる光「後光」をとって「後光効果(ハロー効果)」という言葉があるように、不可視なものの可視化による心理的効果を狙った演出法がテクノロジーを利用した様式として定着している、ということが背景にあるように感じた。
そんなことを話していたら友人が「そういえばドイツの美術学の言葉に”キッチュ”ってのがあるじゃない。君が電飾に興味を持つのは意外なマリアージュがもたらす驚きと美的価値によるものなんじゃないか!?」というようなことを言って来た。もう少し詳しく知りたかったので、ネットで「キッチュ」の意味を調べてみた。

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出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『キッチュ(kitsch)とは、美学・芸術学において、一見、俗悪、異様なもの、毒々しいもの、下手物などの事物に認められる美的価値である。元はドイツ語だが、英語でも同じ綴りで浸透している。キッチュは、芸術作品や、複製技術の発達した近代・現代の、大量生産された工芸品などに見いだせることがある。芸術の中では、サルバドール・ダリのいくつかの作品をキッチュと呼べる。またシンガポールのハウ・パー・ヴィラ(タイガーバームガーデン)は、典型的なキッチュの例として知られている。
(省略)
キッチュとは、「見る者」が見たこともない異様なものか、「意外な組み合わせ」「ありえない組み合わせ」であろう。もしくは、「見る者」にとって異文化に属するものであったり、時代を隔てたりしている必要がある。
(省略)
キッチュは、単にグロテスクなだけでは成立しない。ヒエロニムス・ボッシュの絵画や東アジアの地獄絵のように、過剰な表現、意外な組み合わせから一種の滑稽さが現れることがあるが、それは必ずしも制作者の意図とはかぎらない。むしろ、制作者の意図は真剣そのものであり、キッチュとみなされるのが不本意かもしれない。だが、キッチュは最終的には「見る者」が感じる美的価値である。つまり、キッチュは表現者による、意図的・積極的な表現手法であることもあるが、「意図しないキッチュ」「見方としてのキッチュ」もある。』
ーーー

なーるほど。そういうことかあ。「一見俗悪なものにも美的価値がある」という考え方と、「意外な組み合わせには美的価値がある」という2つの考え方が「キッチュ」には内包されているみたいだ。有名な言葉で「アイデアとは、既存のものとものの新しい組み合わせである。」というのがあるけど、既存のもの同士の新しい関係性の発見(発明)には、今までにない感覚を生む力があるのだろうか。
そういえばカツカレーは出て来た当時は意外な組み合わせだったという話を聞いたことがある。(最近では納豆カレーもあるみたい。)当時の人でなくても、例えばビーフカレーライスはインドの人から見たら異様なコラボレーションに映る気がする。ネパールからやって来たヒンドゥー教徒の友人もカレー屋のビーフカレーの広告を見るとよく「あんなものはカレーへの冒涜だ!!」とか異常な反応を示していた。
そうした相対的に異様だと感じるものに対する好奇心と興味深さというものが、僕の東南アジアで見た様々な事物に対する四次元的魅惑の根源にあるのかもしれない。
ついでにシンガポールのハウ・パー・ヴィラが「典型的なキッチュ」だと記されているので見てみる。
 


なんのこっちゃ。カオダイ教といい、ココナツ教といい、この寺院といい、見ていると文化相対主義の観点とオリエンタリズムの観点が脳内で激しくぶつかり合う。
これを「俗悪だけど美だよね」と見るのはサイードの言う「オリエンタリズム」という西洋中心主義的な発想形態に染まっているからなのだろうか。うーむ。しかし、自分の住む日常から世界とは異なる現実を見た瞬間に、逆に自らの日常と常識を相対化する視点がそこに立ち現れるという見方もできる。或は、レヴィ=ストロースさんが「どんなに均質化しても、その中には多様性が必ず生まれる。」と言うように、これらの現象はマクロなグローバリゼーションという均質化の流れの中でミクロに起きている文化コラージュともいうべき意外な組み合わせによる多様性の表出の一例なのかもしれない。・・と色々考えてしまうほど、沢山の四次元とキチュティック・ファンタジーが満ち溢れているこの世界。超現実世界。
 
最近こういう本を見つけた。読んでみたいかも。むーにょ。後者には「キッチュ批判」の観点も述べられているみたい。
 
・『東南アジア四次元日記』(著:宮田珠己/出版:旅行人,1997)
・『ユリイカ臨時増刊悪趣味大全』(青土社, 1995)
 

Wednesday, July 02, 2008

今日のファンタジー

 
新幹線に「Hack」という落書きがされて運休中止になったというニュースがテレビでやっていた。このニュースが耳をかすめた時に、ふとこの前友人と話していた話を思い出した。
 

マチャチュー・・マサチューセッツ工科大学(MIT)には、学生の間に伝統的に「ハック(Hack)」と呼ばれるゲリラ的なイタズラをする文化があるという話だ。しかし単なるイタズラではなく、知的でユーモラスなイタズラをしよう、という伝統があるというのだ。
10年くらい前には、一晩のうちに校舎の屋上にパトカーを乗せてしまうというかなり大掛かりなイタズラがあったみたいだ。友人と腹をかかえて笑ってしまった。このイタズラには、ユーモラスに「こんなところに穴があるよ」と警告を発するという意図がある。
実はコンピュータにおける「ハッカー文化」も自分の日頃のずば抜けた技術や発想を使って、イタズラによって警告を発するという点においては共通している。「Hack」という言葉の裏側にある興味深い物語だ。
 
そんなことを思い出していたら、今回のイタズラもそういった狙いでやったのか?と思えるような点が幾つかある。サミットが近づき、テロの警戒態勢も強化しつつあるこの時に、列車の中では最もランクの高い新幹線にいつの間にか落書き。この行為はもの凄くバッシングされている一方で、中にはセキュリティの問題をつく声も次々と上がっているみたい。この一件でJRはテロ警戒もあって運休中止までして、ニュースでは大々的に報じられている。「Hack」の落書きの主としては狙い通りといった展開なのだろうか?
 
この手のイタズラにはユーモアのセンスに加えて知的なセンス、芸術的センスなどなど色々問われる。今回の一件はMITのハッカー文化のパロディーなのかオマージュなのか影響なのか・・はよくわからないけど、そこまでユーモアのセンスがある訳ではないよねえ。(かといってもっと過激にやれ、ということではない。やるならMITを参考に!!)
※そういえばテレビで「何故Hackなんでしょうか。Fuckのスペルミスなんじゃないでしょうか」というようなことを言っていた。いくらなんでもそれはないよー。
 
そういえば最近一部で話題になった社会派(というより社会心理学的)なパフォーマンスで面白かった映像をついでに思い出した↓異なった時間と空間を生み出すことで、そこに今まで不可視だった「都市性」が立ち現れる。
 
 

 
<参照>
 
・http://en.wikipedia.org/wiki/MIT_hack
・http://hacks.mit.edu/Hacks/by_year/
・http://hacks.mit.edu/Hacks/by_year/2006/firetruck/
・芸術テロリズム
・3分で分かる京都大学-カオスの世界-